原田慶太楼さんは、世界から注目されている日本人の指揮者で、
国際的な舞台での活躍と多様な音楽ジャンルへの取り組みを通じて、クラシック音楽界に新しい風を吹き込んでいます。
指揮者・原田慶太楼とは?簡単な経歴
1989年、東京都世田谷区のセント・メリーズ・インターナショナル・スクールに入学
17歳で単身アメリカに渡り、インターロッケン芸術高校で指揮を学ぶ
その後、ジョージア州のマーサー大学とアリゾナ大学でさらに音楽を学び
2006年、21歳のときにモスクワ交響楽団を指揮してデビュー
シンシナティ交響楽団、アリゾナ・オペラ、リッチモンド交響楽団などでアソシエイト・コンダクターを務め、2020年からはアメリカのサヴァンナ・フィルハーモニックの音楽&芸術監督に就任
日本では、2021年4月から東京交響楽団の正指揮者を務める
タングルウッド音楽祭で小澤征爾フェロー賞、ブルーノ・ワルター指揮者プレビュー賞、ショルティ財団キャリア支援賞など、数々の賞を受賞し、アメリカ、ヨーロッパ、アジアを中心に活躍、国際的な評価を得ている
2017年、プロテニスプレイヤーで服飾デザイナーの倉島侑里さんと結婚
原田慶太楼さんは、若くして国際的な舞台で活躍し、
日本のクラシック音楽界を牽引する新世代の指揮者として注目されている人物です!
原田慶太楼の面白い経歴10選!
1|音楽が身近な家庭ではなかった
音楽がそこまで身近な家庭ではなかったですね。
僕も覚えていないくらい小さい頃、バレエ『くるみ割り人形』を観に行ったらしいんですけど、その時も上演中すやすや眠っていて、親も、この子に音楽は向いていないな、と思っていたそうです。
らららクラブ
ご家庭が、根っからの音楽一家というわけではなかったようですね。
原田慶太楼さんは、親の影響でビートルズやクィーン、シュプリームスなど70年代ロックを聴いていたそうで、
クラシックの道に進む要素はゼロだったと言いいます。
2|最初はサックス奏者だった
小学校の時通っていたインターナショナルスクールで、ミュージカル『ウエストサイドストーリー』を観たんですが、出だしのサックスのソロを聴いて「これだ、これがやりたい」と思いました。
これが僕の音楽との出会いであり、始まりです。
その後、須川展也さんのCDを聴いた影響もあって中学生でサックスを始めました。
初めから指揮者としての道を目指していたわけではなく、サックス奏者だったそうです。
幼い頃のミュージカルの衝撃もあって、ブロードウェイのピットミュージシャンを目指していたのだとか。
ブロードウェイのピットミュージシャンとは、ブロードウェイ劇場でのミュージカル公演中に舞台の下に設置された「ピット」と呼ばれる場所で演奏を行うプロのミュージシャンです。
彼らは、歌手や俳優がステージ上でパフォーマンスしている間、音楽でストーリーをサポートし、感情の高まりや雰囲気を演出するために演奏します。
ピットミュージシャンは通常、高い演奏技術が求められ、多くのミュージシャンが専属ではなく、複数のショーを掛け持ちしていることもあります。
また、シーンに応じて音量やテンポを即座に変える必要があり、即興的な対応力が重要です。
3|ピザ奢るから僕の指揮を見て!
──指揮の技術はどうやって磨いていったんですか?
色んな友達に、指揮を見てもらうことをしていました。
例えば、「ピザ奢るから僕の指揮を見て!」とお願いしたりとか。
インターロッケン芸術高校で指揮者を目指すことに決めたあとは、
友達にピザを奢るから指揮を見てもらうお願いをしたというエピソードがあったようです。
ピザをくれるなら見る!見る!
指揮はとにかく人がいないと練習にならなかったから、このようなお願いをしていたそう。
また、ビデオでとにかく色んな人の演奏を見てモノマネして練習を続けていたと言います。
4|「Knock on THE door」(ドアをノックしてみる)
僕には人生のモットーがあるんです。
「Knock on THE door」(ドアをノックしてみる) 僕は人生で何万回も「NO」と言われてきました。
だからダメ元でもいいんです、だってやってみないとわからないから。
日本語でいうと「当たって砕けろ」といったところでしょうか。
ロシアで指揮者としてデビューしていた原田だんは、尊敬していたロリーン・マゼールがサマーフェスティバルをやる、というリリースを見てすぐ連絡をとります。
もともとOKが出るなんて思ってなかったそうですが、キラキラした気持ちで、「トントント〜ン」って、
アプローチしてみると、なんと「OK」の返事が!
そこから、マゼールのアシスタントとして指揮者としての姿を学んでいきます。
5|多彩な音楽性と幅広いレパートリー
原田慶太楼さんは、クラシック音楽だけでなく、オペラ、室内楽、ポップス、映画音楽、
教育的プログラムにも積極的に関わっています。
これにより、幅広い音楽ジャンルでの経験を持つ指揮者として知られています!
6|YouTubeが面白い!
コンサートの裏話や、早口企画など、とても親しみやすいYouTubeチャンネルも面白いと言われる理由のひとつとなっています。
7|下半身はパジャマ
僕が年配で硬い人間だったら、相手も硬くなってしまうのではと思いますが、僕はこういう人間で、家にいますし、配信の時は見えない下半身はパジャマだったりしますからね(笑)。
そういうふうにオープンにして、僕とゲストの会話をたまたま何百人かが見ているだけという雰囲気作りをしています。
原田さんは、パンデミック中にYouTubeチャンネルを開設し、
世界中の音楽家とのカジュアルな会話を公開することで、クラシック音楽を身近に感じてもらうことに注力しました。
ただ、配信のときは見えない下半身はパジャマだったりするとのこと。
そう思って見ると、また違った面白さが…
8|杭が出すぎて打てない!
日本で「出る杭は打たれる」と言いますが、僕は日本で最近よく「杭が出すぎてて全然打てない」と言われます(笑)。
それだけ日本の音楽界でも誰も考えられないような、恐れていることをいろいろなところでチャレンジしています。
礼儀正しさとか、先輩後輩とか、相手を尊敬するのは全然悪くありませんし、良いことだと思っています。
でも、僕らがやっているのは音楽です。
リハーサルで、舞台で、オーケストラが偉い人たちの集まりだからと指揮者がペコペコしていたら、何も進まないのです。
まわりがやっているから自分もやって安心するというのが大嫌いで、まだやってないものを見つけて追求するのだそう。
「それでだめだったら、他のことをやればいいじゃないか」という性格なのだとか。
9|クリエイティブで革新的なアプローチ
僕はアメリカで本当にたくさんの楽しいプロジェクトをしてきたんですよ。
たとえば、交通機関が混んでいる通勤時間帯を避けて、ゆっくり帰ってもらうための「ラッシュアワーコンサート」というのがありました。
これは僕が来る前からそのオーケストラでやっていたのですが、実はあまり上手くいっていませんでした。
ターゲットであるはずのオフィスワーカーよりもシニアの方が多く、目的と実態が合っていなかったんですね。
なので僕は「Rush」を「Lush(俗語で酔っ払いという意味)」に変えました。
アメリカで「ラッシュアワーコンサート」を「ラッシュ(Rush)」から「ラッシュ(Lush)」(酔っ払い)に変更し、
ビアホールでのカジュアルなコンサートを開催。
それが、大成功を収めました!
こちらのラッシュコンサートはビアホールでやったんです。
オーケストラのメンバーも譜面台の横にビアジョッキが置いてあるんです。
僕ももちろん、譜面台に駆け上がったらビールをぐっと飲みほして、それから演奏!なんてことをやるわけです。
RをLに変えただけで、瞬く間に完売(笑)。
指揮者の原田さんも、譜面台に駆け上がってビールを飲み干し、それから演奏したのだそう!
面白いコンサートだね!
10|楽団員のプレイヤーカード
オーケストラのファンを作るために、楽団員のプレイヤーカードを作ったこともありました。
プロ野球カードみたいなものですね。
1回の演奏会では2枚しかもらえない。
オーケストラが80人いるとすれば、全員分集めるには40回通わなくてはならないんです。
しかも、そういうところに出てきたがらない楽団員もいますから、そういう人は逆にレアキャラで入手困難カードになるので人気が出るんですよ(笑)。
そのカードのコレクターズブックも作ったそうですが、すぐに売り切れたのだとか。
コレクションしたいかも…!
まとめ|原田慶太楼の面白い経歴10選!
これらの要素が組み合わさり、原田慶太楼さんは単なる指揮者以上の存在として、
多くの人々を魅了し「面白い」と評価される理由となっています。
彼の活動は、クラシック音楽をより身近で楽しいものにし、新しい観客層を開拓することに貢献しています。
これからの原田慶太楼さんの活動にも目が離せませんね!
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