2025年9月、世界陸上が日本で開催されます!
世界陸上はオリンピックと同様、アスリートにとってはキャリアの頂点を競う舞台であり、多くの世界記録がここで生まれることもあり目が離せません。
前回の大会ではキャスターから外れていた織田裕二さんが、スペシャルアンバサダーに就任されるということで、更に注目されそうです。
世界陸上に織田裕二が帰ってくる!
織田裕二さんと言えば特に、2007年の大阪大会での名言「地球に生まれてよかったー」や、「何やってんだよ~タメ(為末大)~!」などが、印象深いですよね。
また、彼が歌う「All my treasures」は番組のテーマソングとして長年使用されており、一度は聞いたことのある方も多いのではないでしょうか?
しかし、前回ブダペスト大会では、ファンから「織田裕二ロス」と言われ不興を買ったようで、TBSは来年の東京大会で復帰させることを決定したようですね。
織田裕二“東京2025世界陸上 スペシャルアンバサダー”就任コメント
1997年から25年間、番組のメインキャスターとして携わってきた“かけがえのないイベント”でもある世界陸上に、しかも34年ぶりとなる地元・東京大会に、アンバサダーとしてかかわることになり大変うれしく思っています!
TBS NEWS
開幕まで1年を切り、すでにワクワクしています。
キャスターとして世界中のスタジアムで見て、感じて、興奮したり、驚いたりした経験を生かして、満員の国立競技場から熱く、皆様と一緒に盛り上げていきたいと思います。
そして、何よりも未来の子どもたちにとって、レガシーとして心に残る大会になることを期待しています。
織田裕二が司会から外された理由は
織田裕二さんは、圧倒的熱量と独特なワードセンスで人気があったのですが、熱量が高すぎて日本陸上競技連盟からクレームが入ったと報じられたことも。
深夜に放送していても数字がさっぱりとあって、中継にかける経費を大幅に削減することになった。
日刊サイゾー
もともと、コロナ禍のため海外に渡航しての事前取材もNGに。
わざわざ織田と中井を起用する意味も薄れてしまった。
また、起用されなくなった理由は、視聴率の低迷や、コストダウンなどの目的があったとされています。
世界陸上の歴代司会者は誰?
最初の大会は1983年にフィンランドのヘルシンキで開催され、それ以降、2年ごとに世界各地で開催されています。
第1回ヘルシンキ大会(1983年)
土曜・日曜放送時には『ビッグスポーツ』『土曜ワイド劇場』『日曜洋画劇場』の枠を使い、
平日放送時には22時まで通常放送をした後に『熱闘甲子園』『ANNニュースファイナル』を放送し、22:40から放送するという形を取っていました。
両者共に、テレビ朝日のスポーツ担当のアナウンサーだったようですね。
第1回大会の日本での放送は、当時のスポーツ中継としては画期的なものであり、多くの視聴者にとって新しい体験となりました。
これにより、日本国内での陸上競技への関心が高まり、その後の選手たちへの応援にもつながったと考えられます。
第2回ローマ大会(1987年)から第5回イェーテボリ大会(1995年)
1987年ローマ大会から1995年イェーテボリ大会までの3つの大会は、日本テレビ系列局が放送を行いました。
1991年東京大会が開催された時には、『世界陸上東京大会』の番組名で放送を行い、ここから、「世界陸上」と呼ばれるようになったようです。
1991年東京大会では、プロ野球・読売ジャイアンツ元監督の長嶋茂雄やタレントの宮沢りえさんらがキャスター・レポーターを務めたそう。
このころ人気絶頂のアイドルだった宮沢りえのほか、「若貴ブーム」を巻き起こしていた大相撲の若花田と貴花田(のちに横綱となる若乃花・貴乃花)をはじめゴルフの青木功、新体操の山崎浩子、水泳の長崎宏子などといった現役のスター選手・元アスリートが多数ゲスト出演している。
さらに大会全体を通しての総合司会には、当時15歳の俳優の西部里菜(のちにミュージシャンとなり音楽ユニットindigo blueなどで活躍)とともに長嶋茂雄が起用された。
Number
1991年の世界陸上では、視聴率も連日20%を超えるなど高い関心を集めました。
昭和の時代、五輪の注目度は高かったが、各競技の中継はNHKの独壇場だった。
日刊スポーツ
特に海外向けの映像も制作する世界規模の大会は、民放では難しいと言われていた。風穴をあけたのが91年8月の東京世界陸上だった。
日本テレビが約150億円を投じ、1200人を動員して100時間近く放送。
海外メディアからも「日本のテレビ局に金メダルを」と絶賛された。
当時、世界的なスーパースターだったカール・ルイスが100mで、9秒86の世界新記録を打ち立てたのもこの大会で、
人類が初めて9秒8台に突入した歴史的瞬間でもありました。
織田裕二さんが起用されたのは1997年にTBS系が放送を始めた時からだよ!
世界陸上がTBSで放送されたのは1997年大会から
この組み合わせは13大会連続で務め、TBSの世界陸上中継の顔として長年親しまれました!
織田さんと中井さんは、2005年ヘルシンキ大会までは東京のスタジオから進行していましたが、
2007年大阪大会から2019年ドーハ大会までは現地の競技場スタンド内に特設スタジオを設け、そこから進行する形に。
2022年オレゴン大会では、コロナの関係か再び東京から進行しました。
織田裕二は、もとから陸上競技に関心があったわけではない。
著書『脱線者』(朝日新書、2007年)では、学生時代は球技が好きで、《チームプレーのほうがスポーツとしての実感を得ることができた》のに対し、陸上競技については《ひとりでグラウンドを走っていて、何が面白いんだろう、と考えていた。競技として展開が見えづらい、そんな印象もあった》と率直に書いている。
Number
織田さんはもともと球技が好きだったそうで、世界陸上の話が来たときは、
何で僕なんですか?
と、訊いたほどだったと言います。
楽曲に関しては、2005年のヘルシンキ大会から織田裕二さんの『All my treasures』がTBS系列での中継テーマ曲に使われ、
TBSがホストブロードキャスターとなった2007年大阪大会では大会公式ソングとなりました。
2023年ブダペスト大会
そして、2025年の東京大会で、織田裕二さんがスペシャルアンバサダーとして、返ってくることが判明しました!
世界陸上での織田裕二の名言集!
そこで、有名どころの名言(迷言)をまとめてみました。
たかがオリンピックですから。世界陸上が真の実力ですから。
オリンピックより参加する国や地域の総数が多いんだって!
事件はパリで起きています!
現場はパリだった!?
何やってんだよ、タメ~
為末大選手が予選落ちしてショックだったんだよね
ベルリンでは早くも記録の壁が崩壊しました
棒高跳びの選手に対してのコメントだよ
地球に生まれてよかったー!
番組卒業の最後の一言!
またこのような織田裕二さんのコメントが聞かれるのが楽しみですね!
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